しなび山のしなび竹

 しなび山のしなび竹という行田の民話を紹介しますね。
 その昔、弘法大師が人々の救済のため諸国をめぐられ、旅をされたことがありました。若小玉村(私が住んでいるあたりです)にこられたときのこと、暑い日盛りを砂ぼこりを浴びながら、とぼとぼといなか道を歩んでいかれました。

 ある家に立ち寄られて「杖にしたいから一本竹を恵んでほしい」と竹を所望しました。そこは百姓の与八の家でした。ところがこの与八、すこぶるケチんぼでwよせばいいのに言うに事欠いて「この山の竹はみんなしなびていて、杖にはなりません」と、ていよく断ってしまいました。
ふしぎなことに翌年から与八の竹山の竹は、みんなしなびて生えてきたといいます。

 弘法大師は、しかたなく同じ村の千蔵という百姓に竹を所望しました。千蔵は心よく手ごろの竹を切って杖にして差し上げました。
大師は大喜びされて、懐中からふくさを出し、一首の和歌を書いてくださいました。そして翌年から千蔵の竹藪には太く大きい竹が育ったそうです、当時千蔵が住んでいたあたりは現在「大竹」という地名となり残っています。

 天保11年(1840年)版「忍名所図絵」の著者は、そのふくさを見たいと、その家の主人に頼みましたが、「今はもうふくさが朽ち果ててしまって、文字も見えないから」といって見せてくれなかったと書いています。

 このしなび竹のあるところは「忍名所図絵」に細かに記されています。「若小玉村に入って一町ばかりの所に一つの塚があり、青石塔婆がある。この塚の中腹に竹薮があり、それがしなび竹である。」と、また「竹は真竹で、肉に厚い薄いがあり、太いものは七.八寸を上回る。花器にすればおもしろい」とも書いてあります。

 そしてその竹は今でも市指定の天然記念物として、若小玉の地に片萎竹として残っています。節間にできる縦じわの部分と平滑な部分とが半分ずつ節ごとに交互にできるマダケの変種だそうです。

 いかに財産があろうが、ほどこしのできない人には幸せは続かない、すべては使い物にならないガラクタに帰してしまうってことですね。

あまりにもケチケチしてちゃ、ダメダメよwww

灰鰤で投稿HatenaSync