勇気を送り続ける

忘備録として転写・引用させて頂きます。
すみません、分かりやすくするため、記事の一部を書き換えさせて頂きました。

戦前の話。少年は、学校でいじめられ、草履を捨てられては裸足で帰った。砂利が食い込み、霜どけ道に感覚は麻痺した。「鼻緒が切れたから捨てた」と家族にはうそをついた。翌朝、祖父が新しい草履を渡す際、言葉を添えた。「大事に履ぐだよ」

戸井策次氏が少年時代の出来事を『村の歳時記』(菁柿堂)に記している。祖父は事情を知った上で、草履でなく“自分を大事にするんだよ”と伝えたかったのだと思えてならない。

「最近、息子の口数が減り、学校にマスクをしていくんだ」。昨年の原発事故後、福島県外に避難した友から、中学生の息子の変化を相談された壮年。“級友の心ない言葉に傷ついたのでは”。幼少から知るその子が心配で、壮年は飛んでいった。

「キャッチボールをしよう」。壮年は彼に球を渡した。初球は大暴投。横っ飛びした壮年は、ワイシャツを泥だらけにして捕った。「どんな球だって受け止めるぞ!」。その後、2人は夕暮れまで投げ合った。翌日、彼はマスクを外して登校した。

陰湿ないじめの報道が後を絶たない。無論、いじめる側が100パーセント悪い。その時、一人でもいい。苦しむ人の側に。“自分を大切に。私がついている”と、勇気を送る一人になりたい。

灰鰤で投稿HatenaSync