可児才蔵

先日手に入れた「忍名所図絵」を眺めてwいたら、あれっ?て記事がありました。「可児才蔵の墓」…可児才蔵って戦国時代の武将で、関ヶ原の合戦で武功を立て、その生き様とも相まって、人気も高く、愛宕権現を信仰、墓は広島の才蔵寺…だろ?…

でも、忍名所図絵には、『可児才蔵の墓 天祥寺門前杉林の中にあり 可児氏は福島家功臣武勇人の知る処なり 後阿部候に仕へ子孫今にあり』…と。
んで文の最後には、『此森の竹木出〇〇〇〇(スマソ読めないw)取れば祟ありと云傳ふ』…祟りありガクブルw

てか、なにこれ?すげーぢゃん!

他の文献を調べたら、といっても、原文や複写本を確認した訳ぢゃなく、ネットの拾い物を鵜呑みにしての話ですので、その辺はご了承くださいw

武蔵志には「可児才蔵は笹の才蔵と云て、天正の比、無類の勇士なり。福島家滅亡の後阿部家に仕へ死、丸墓山の側に葬る、路傍に石塔あり」と。

慶安年中忍藩分限帳には「御家老・八百石・可児才蔵、客会釈・二十人扶持・可児坂之助」。
享保八年忍藩軍役帳には、「五人扶持・可児権三郎」。
文化四年忍藩分限帳に「小寄合・二百石・可児才蔵」あり。と。

天祥寺は、忍藩松平家菩提寺で、いまも埼玉(さきたま)古墳群の中にあります。…ちょっとチャリで行ってみてくるかw

うーん…まぢ?ひょっとするとひょっとする?w

そんな訳ないよね、こんな重大なこと…^^;

本日はこれまでw
新たな発見wがあったらまた書きます。

灰鰤で投稿HatenaSync