浮き城

 私の住んでいる行田には、かつて関東七名城に謳われた「浮き城」こと、忍城がありました。
忍城は文明年間(1469~1486年)の初め頃に築城され、上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐え、戦国の世を生き抜いた名城です。

 明治維新の際に壊されましたが、現在は忍城本丸の跡地に在りし日の面影を再現した忍城址が整備され、三階櫓が建築されました。
城址内には郷土博物館が併設され、資料館として貴重な資料や文献の保存と、展示を行なっています。

和田 竜さんの忍城を舞台とする小説「のぼうの城」に詳しく書かれていますが、戦国の終わり天下平定を目指す太閤豊臣秀吉は最後の大合戦として、「関東の覇者」北条一族が守る小田原城攻めをおこないました…

 しかし、戦は小田原城だけじゃありません。
秀吉の懐刀・石田三成らが2万余の大軍を率い、関東各地に点在する北条方の城を一つずつ攻め落とし、小田原城を孤立無援に追い込んでいきました。
足柄城、八王子城、川越城、館林城、その他諸々…三成の攻めの厳しさに、各城ともわずか数日で落城、虐殺・皆殺し状態だった城もあったようです。

 そんななか何をどうやっても、攻め落とせなかった城がひとつ。それが「忍城」です。北条家と恭順関係にあった(家来じゃ無い)成田家が、代々治めてきたこの城は合戦当時、城主 成田氏長と忍の主だった武将と兵たちは、小田原守備のため、小田原城に篭っており、忍城内には、300名の兵しか残っていませんでした。

 2万余の大軍勢vs300の守備隊…あかごの手をひねるよりやさしいと思われる戦に、石田三成は苦戦します、そして「水攻め」をしかけます。ここ行田の地は、利根川・荒川の大河に挟まれた湿地の多い場所で、地の利ありと踏んだと思われ。また、のぼうの城には、三成が水攻めを実行することに、憧れを抱いていたさまが描かれています。
いまもその時に築かれた巨大な人口堤の一部が、「石田堤」として残っています。

城方は万全の構えで水攻めを凌ぎきります。
小学生の頃、学校の先生に教えていただいた忍城水攻めの話のなかに、忍城の者たちは水攻めのさなか、からたちの木の垣根の上に戸板を並べ、その上を馬を走らせた。それを見た石田軍は、なんてことだ!水が満ちているであろう城内を、馬が土埃をたてて走っているではないか!?…

まさに「浮き城」…

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

だったことでしょう…とw

そして、小田原城が先に落城… その後、忍の者たちは最後まで城を守り抜き、堂々と開城に応じました。

私の大好きな、山本周五郎は短編小説「笄堀(こうがいぼり)」の中で、その勝因は忍城内外の団結であり、また中心者の勝利への一念、また10の持てる力を10出し切った実践であると綴っています。

10を10…簡単ぢゃないけど、自分にないものを出すのではなく、持てる力を出し切る…持ってるものを出す…
頑張れば、私にも出来そうな気がしますw

この合戦で活躍した甲斐姫、長親や他の武将の話も、ぼちぼちまとめながら覚書できたらと思います。
てか、忍名所図絵っていう古文書も手に入れたので、そっちも研鑽したいから、なかなか時間が取れないかも…です、はい…

(;´ー`)
灰鰤で投稿HatenaSync