いまさらですが、8月15日…

何度となく言われていることだけど、この日は「終戦記念日」「終戦の日」と
言われ、けして忘れてはいけない日。伝え次いで行かなきゃいけない日。

1941年12月8日、日本軍は空母6隻(旗艦「赤城」及び「加賀」「蒼龍」「飛龍」
翔鶴」「瑞鶴」)を基幹とする日本海軍空母機動部隊を中心とする海軍機動部隊を
出撃させ、ハワイのオアフ島真珠湾を奇襲してアメリカ太平洋艦隊に大損害を与え、
太平洋戦争に突入した。

12月11日にはドイツ、イタリアがアメリカに宣戦布告し、戦争はヨーロッパを越えて
世界大戦に発展。

開戦当初、日本軍は東アジアと太平洋方面の戦域で連戦連勝の勢いを示し、
1941年末までにイギリス領の香港、アメリカ領のグアム島、ウェーク島、ギルバート
諸島(現キリバス共和国)を占領し、イギリス領のマレー、ビルマ(現ミャンマー)、
ボルネオ、アメリカ領のフィリピン、オランダ領の東インド諸島に侵攻した。
翌年2月にはアジアにおけるイギリスの重要拠点シンガポール要塞が陥落し、
3月には東インド諸島の全オランダ軍が降伏し、5月7日にはフィリピン防衛の
アメリカ軍も降伏し、日本は勢力拡大を図った。北方ではアリューシャン列島、
中部太平洋ではミッドウェー島、南方ではオーストラリアと連合国との連絡を
絶つため、ニューギニア南東端のポート・モレスビー攻略に着手。

しかし、1942年の夏以降、戦局は次第に連合国の優位に傾き始め、日本海軍は
6月と10月にマリアナ沖とレイテ湾でアメリカ海軍に決戦をいどんだが、大敗し、
日本海軍の組織的抵抗は終わった。

1945年3月、アメリカ軍はフィリピンをほぼ制圧し、その後、硫黄島に上陸、
そして奪取、4月1日には沖縄に上陸。

日本軍は神風攻撃や沖縄島民を総動員しての激しい抵抗を続けたが、6月23日
に沖縄全島で日本軍の組織的抵抗は終結した。

グアム、サイパンを基地とするアメリカ軍のB-29爆撃機は、硫黄島基地の戦闘機に
護衛されて日本の諸都市、軍需工場などを爆撃、破壊し、東京も1944年11月14日
以降に106回の空爆を受け、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月25日の
空襲は大規模であり、甚大な被害となった。通常「東京大空襲」と言った場合、特に
規模が大きかった1945年(昭和20年)3月10日に行われた空襲を指すことが多い。
この空襲は軍需工場などを標的とする戦略爆撃の枠を超え、民間人を爆撃対象と
したものであり、一晩に50万人が犠牲になった。

そして、1945年8月6日、9日に、広島および長崎へ原爆投下、二つの都市が壊滅。

日本は8月14日、正式に降伏を決定、翌15日正午、昭和天皇が「大東亜戦争
終結ノ詔書」を朗読したレコードがラジオ放送され、国民及び陸海軍にポツダム宣言
の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。
そして9月2日には東京湾に停泊するアメリカ戦艦ミズーリ号艦上において連合国代表
マッカーサーとの間で降伏文書に調印。

この戦争で約260万人の日本と、2,000万人以上の世界の人々が犠牲になりました。
とにかく、戦争は絶対悪。やっちゃいかん。私たち日本人はそのことを風化させちゃダメ。
核爆弾もそう。使うなんて以ての外、人間のやることぢゃない。作っても、持っててもダメ。

そういう意味の日が8月15日…ちなみに翌16日は私の誕生日でしたw
いまさらながら更新。
This diary was written by 灰鰤 with HatenaSync